・受験と私:第9回 「勉強の合間には必ず休憩を」 鈴木優一さん(東大野球部投手)
・受験と私:第10回「やりたいことがあったから、がんばれた」 山本麻由さん(イグ・ノーベル賞受賞者)
私は弱い人間なので、何かしらの心の支えが無いと思うように足が進まないことがあります。ものすごい緊張しやすいですしね。ただその支えが宗教的なものでもなければ、験を担ぐような気のせい的なものでもなく、なんらかの形で現れていないとどうもダメっぽい。大学受験の時は“すべり止め”を支えとしました。
とりあえず合格1つでもゲットできていれば、落ちても大丈夫。その安心感が欲しかった。落ちても大丈夫と思った時に、気が緩んだり油断して実力が出せない人もいれば、落ち着いて実力を発揮できる人もいます。私の場合は後者。慣れという形で落ち着くと油断してしまうけど、そうでない形で落ち着けばきっと頭は動いてくれる。それこそ優勝のかかった最後のパットじゃないけど、わかっちゃいるけど体も思考も固まってしまう。平均台は軽々歩けても、地上100m、無風、落ちたら死ぬという状況で平均台と同じ幅、同じ距離を歩けと言われても足がすくんで1mmも動かない。そんなことを避けることさえできるなら、受験料や入学金なんぞ安いものです。
そういう、自分の実力を発揮できる状況を作ることも、大事なことだと思います(受験に限った話じゃないですが)。
そんなものは詭弁!
自分自身を信用できない弱者の甘えに過ぎない!
俺には必要ない!
そんなものに頼らなくても俺は俺の力でやってやるぜ!
……という人もいるかもしれませんが、その自信そのもの、あるいは自信を支える実力自体が支えになってるのだと思います。
記憶の限りでは、MSXを封印した覚えがあるのですが、それがいつだったか記憶が定かではありません。大学受験期間だったか、高校受験期間だったか。大学受験の時は普通にゲームしてたはずなので、おそらく後者だと思われます。
そもそも勉強のスタイルとして、勉強だけをする、ということはしてなかったし、するつもりもないし、したくないし、たぶんできない。なので基本的に遊ばない前提でスケジュールは組まず、
“これが終わったら遊ぶ”
として勉強をしていました。言い方が悪いので、当たり障りない言い方で言い換えれば、
“一定量やったら休憩する”
です。一定時間やったら、ではなく、あくまでも一定量やったら。
時間基準にしてしまうと、ただダラダラと勉強やるだけになってしまう可能性があって意味がない。量基準にすれば、やり終わらなければ、何時間でも遊べないし、逆にいえば、すぐ終わらせればすぐにでも遊べる。こうすることで試験勉強しなければ遊べない状況を自ら作る事にしました。
ところが、自分の意思で集中できるのはだいたい20分。それ以上となると、やる気とか興味とか、なんらかのスイッチがONにならないと継続できません。困ったことにそのスイッチは自分の意思ではONにすることができないので、ONになるその時を待つしかない。ONにさえなれば、2時間でも3時間でもノリノリで続けられるのだが……。自分で決めた一定量の勉強が終わるまでの間、幾度と訪れる集中力の切れ目はどうするかというと、キリの良いところで休憩を入れてました。5分くらいですかねぇ。それでリフレッシュして試験勉強を再開する、と。
自分で決めた量が多いとその日は一切遊べなくなることもありますが、それは自分がだらしないからで、そうならないようにすれば良いというだけの話。だからですかねぇ、勉強時間が短くて済んだのは。やりたいことがあると余計に必死ですから。大学受験当時は、ちょうどスーパーファミコンが発売されまして、受験勉強開始早々というタイミングではありましたが発売日に購入して、同時購入したスーパーマリオワールドをプレイしてました。もともとグラディウスIIIをプレイするために購入してますから、翌月にグラディウスIIIを入手してプレイしております。
ちなみに当時はこんな流れ。
11/1 受験勉強開始
↓
11/20 スーパーファミコン発売。スーパーマリオワールドと一緒に購入。
↓受験勉強しながら96ステージクリア。
12/21 グラディウスIII発売。購入。
↓受験勉強しながらエネミーレーザー強ぇとかやってた。
1/1 さすがに1月になったからちょっと控えました。封印したわけではない。
まぁ、世間的にはゲームしてないでもっと勉強していれば云々って感じでしょうけども。