「ホロフォニクス」
悪いことは言わない。リンク先にある「・ホロフォニクスで録音されたマッチ箱を振る音」をステレオ対応のヘッドフォンかイヤホンで聞いてみてくだされ。
私は音楽とかそっち方面はギネス級に疎く、例えばいまだにジャズとはどんな音楽かを説明することができません。でも聞けばジャズとわかる。そういうことってありますよね? そんなわけでリンク先の技術がどんな仕組みでそうなっているのかさっぱりわかりませんが、聞けばそれがどういったことをやりたいのかがすぐわかる。そっち方面では決して珍しいことではないのかもしれないし、すでに古い技術なのかもしれないけれども、少なくとも私には新鮮で、そして背中がむずがゆくなりました。
こういうのを生かしたゲームをプレイしてみたいなぁ。バイオハザードとか。
・考:「いただきます」に多くの意見 「命」と「食」へ、思い670通
そういえばもう何年も食事でいただきますと言ってない。
自分以外の生命を犠牲にして食事として摂取しているのは普段から認識しているし、それが無ければ自分という存在が成立しないのも認識しているし、常に心のどこかで彼らに対して感謝している。だから無理して食事の時だけ感謝するのもどうかなぁと思う。ただ、私がいただきますと言ってないのは、それが理由ではないけれども… (面倒なだけ。というか、すぐ食いたい。食わせろ。そんな感じ)。
作ってくれた人への感謝の気持ちは、私の中では「いただきます」に込められていない。おいしいものを素直においしいと言って、おいしくないものをどうおいしくないのかをきちんと言うことこそが作った人への感謝と思っている。そして、おいしいのにおいしくないと言ったり、おいしくないものをおいしいと言うのは作った人に失礼なことだと思っている。
まぁ、それが一般で通じるかというと通じないんだけどね。たいていおいしくないことを言うと怒るね。だって仕方ないじゃない、まずいんだから。
それはともかくとして、「食」と「命」を語るにおいて、私も含めてほとんどの人は“現実”を知らずにうわべだけで命を語っているのではないかと思う。やっぱさぁ、生きている状態からスーパーに並ぶまでの過程を見学させるといいかもしれぬよ、子供も大人も。極論だけど。そうしたら、何か違ったものが見えてくるかもしれない。
いただきますで思い出しましたが、ドラマ「喰いタン」は、なんであんなことになっちゃってるんだろう…。