ねりたんアニメプロジェクト in 大泉

3/16に「ねりたんアニメプロジェクト in 大泉」が行われ、車掌さんが西武鉄道大泉学園駅の名誉駅長に就任し、 当日は松本先生が1日駅長に就任。これにあわせて、記念オブジェクトを同駅に設置され、 銀河鉄道999オリジナルヘッドマーク付きの電車運行も行われました。

「ねりたんアニメプロジェクト in 大泉」

「銀河鉄道999 オリジナルヘッドマーク付き電車運行」

「銀河鉄道999 記念乗車券販売」

○大泉学園駅にて

↓大泉学園駅の階段横の壁にかけられていたものです。

○駅前で記念式典

↓会場は大泉学園駅南口を出てすぐのところ。その正面付近で始まる時間まで待っていました。


こちらから見て右手にブラスバンドの一団がいまして (地元高校かな?) 、松本先生や西武鉄道の偉い方などはまずそこに着席。 一通り全員揃ってから各人の紹介と軽く挨拶がありました。


○1日駅長就任式

↓1日駅長就任式がはじまりました。


↓渡します。

↓握手。

○就任式後のコメント

就任式後、13分ほど先生が話をしました。

駅長さんに任命していただきまして、とても嬉しいです。
25歳の時からここ大泉に住んでいます。
ただ、不思議なご縁で、私が生まれたのは九州の福岡県久留米市です。育ったのは小倉市です。 そこから一昼夜かけて、まだ蒸気機関車の時代に、昭和31年の末に上京しました。 本郷3丁目で6年間下宿暮らしをした後、ここへ来たわけです。 その時の駅はまだ昔の木造のままでした。

そして、この商工住宅と我々呼んでるんですが、駅前の住宅以外は、全部田んぼと畑と土手と川という自然あふれるとても美しいところです。 そして不思議なことに私はそちらのマキノ植物園に行った時に驚いたんです。 私の処女作は「みつばちの冒険」。つまり昆虫マンガですね。昆虫マンガを書くには植物を書かなきゃいけない。 もちろん山野でかけまわってましたから知っているんですが、何の何というのを正確に書くためには昆虫図鑑も必要だったんです。 それがマキノ植物図鑑。 そしてそれを手に入れたのが小学校5年生の時です。 そして表紙を開きますと、マキノ先生の写真が出ていて、大泉の自宅にてと書かれていたんです。 まさか自分がそこへ行くとは思わなかった。 ですから大泉に来てマキノ植物園に気付いた時、これは運命だったんだと、自分はここに行くように生まれたんだと不思議な気がします。

そして自転車に乗ってそっちへ走ってたら、東映動画と書いてあるんですね。 私は先ほど話に出ました白蛇伝。実は九州の映画館で、8mmで映画館の中で撮ってましてね、 今そんなことやったら大変ですが、 館長さんにとっつかまりましてね、ところが、気付かないようにやれよ、とそうやって見逃してもらえたんです。 それは自分がアニメーションを作りたいという願望で、資料として欲しかったんですね。 そういうのを経て来てみたら、その東映動画がそこにあるんです。 その前を自転車で走りぬける時の感慨というか気分ですね、こう少し立ち上がって中を覗いて そのうち俺も何かやることがあるだろうと思いながら家へ帰ったのを覚えています。

ですからそういうわけで大泉というのは自分にとっては運命づけられた、ここで生涯終わるようにもうできていたんですね。 そして私が生まれる前、私の父親はここの上空を飛びまわっておりました。 いるばから離陸したり成増の飛行場、今は光が丘ってね、高島平からこちら側、高島秋帆という西洋砲術士の名前から高島平と呼ばれているんですが、 高島平から飛び立ってここを飛んでるから、聞くと地理を全部知ってるわけですね。上空から見て。何の隣に何があるだろうと。 入ってみたらそのとおりなんです。 ここは私にとっては来るべくして来た、そして終の棲家であります。もう大泉から離れるつもりは毛頭ありません。 ですから大泉がなるべく元気で賑やかで、そして最初から明るい場所だったんです、とても。 ですからそれがとても嬉しくて、今でも大泉に住んでいるということを誇りにしてるし、なんか無限大の安心感があるんですね。

実はこうやって立ってて周りを見ますと、これ自分がしょっちゅう毎日ウロウロしてる場所なんです。 うろうろしてる場所なんです。 全部、そこの赤い建物のあのあたりを買わんかと言われて、スタジオ立て替える時にですね、それを毎日その時決めてたら、そこが家になってたみたいな、 至近距離にすべてが存在する、そういう駅だったわけですね。 ですから誠になんか今日は嬉しいです。

そしてこれ、お話してもいいでしょうか。
ここの、大泉駅がまだ木造だった時に、はじめて自動販売機が設置されまして。切符の。使ったこともないんですよ。 切符代を、池袋まで行こうと入れましたら、おつりがでっぱなしで止まらなくなりまして。 泡食って、改札の方に言って、抱えて事務所に渡した記憶があります。

そういう風にここの西武線というのは逆に、なぜ大泉に来たかもう1つの原因は、西武線に乗れば都内どこへでも行けるわけです。 池袋まで出れば出版社という出版社すべてに行けるわけです。 その便利さ、それで延々とこの西武線には漫画家、小説家だけはたくさん住んでるのは理由としてははっきり理由があるわけです。 桜台、江古田あたりがトキワ荘で有名な石ノ森章太郎氏。 彼とは同年同月同日生まれです。 それで赤塚不二夫氏、藤子不二雄氏、そして富士見台へ来るとちばてつや氏。 17歳の時からの親友であります。

同じ富士見台に虫プロがありまして、手塚さんがそこに住んでたわけですね。 鉄腕アトムの第1号のフィルムを編集しようとしたら、夜中に助けてくれと電話がありまして、どうしましたかと聞いたら、映写機が壊れて動かん、と。お前のを貸せ、と。 ようするに私と石ノ森氏と手塚さんが、自称ですよ、自称三大アニメマニア、そう言わないとオタクは俺のほうがすごいというのが必ずいますから。 で、そしてその映写機を持っていって鉄腕アトム第1号の編集をやったわけです。 ですから、日本のテレビアニメーションの第1号の試写会用のフィルムは、私の輪に輪をかけてボロい中古の35mmの映写機で編集したんです。 不思議な因縁で、そういう風に。 こちらの大泉から向こう側に行きますと萩尾望都さん、これは同じ福岡県出身ですから、もいますし、 ここ一帯にはモンキー・パンチ氏や新谷かおる君、石神井には弘兼憲史氏(黒鉄ヒロシ氏?)という風にたくさんその他数え切れない大勢の仲間が住んでるわけです。 道を同じくするものが。

そして何よりも東映動画という偉大な存在がそこにあったわけです。 ですから私は駅前のすぐそこの建物で、あべ静江さんと一緒にお茶を、一緒ったって、知り合いじゃないですよ。 目の前に座っておいでなんですね。 映画の扮装のまま、お茶を飲まれているわけです。 あんまりこっちがジロジロ見るもんですから、こう気がつかれまして。 左卜全ともそこの角で、私が自転車に乗ってて、卜全さんと曲がり角で衝突しかけたことがあります。 お前大丈夫かと言われましてね、いや大丈夫ですかそちらは、俺は大丈夫だ、とそういう会話が成り立った面白い町なんです。 岩下志麻さんとは、東映動画でパーティがあった時に一緒に写真撮ってもらいました。 なぜか怖い顔して、一緒に写って下さいと言われて、厳しい顔つきで一緒に並んで、私のほうが笑ってるんですけどね。 そういう記念写真が撮れるし、それから外国の映画関係者の方もこっちへ見えることが多くて、いろんな方にお会いできました。

ですから、とても私は大泉が好きですし、あぁいいところへ来たなと、俺は幸せだったんだとしみじみそう思います。 もう運命ですね。

(ここで汽笛が鳴る)

そういうわけでして、私、話し出すと2時間くらい喋るもんですから。

本名は松本晟というんですが、零士というのは無限大のサムライという意味で、終わりがないんです。 そういうあれでして、長話になるともっとややこしいことしゃべりだしますので、このくらいにしますが。
大泉は本当にいいところです。そして仲間達がたくさん住んでいるところ。 先輩、荒廃も含めてものすごい数の志を同くする人たちが住んでるすばらしい場所です。 ですから、この大泉、さらに西武線沿線が、さらに賑やかになって大勢の人たちがともに行き交い、出会い、語り合える場所になればどんなに楽しいかと思っております。 まさかここでこういうマイクを前にお話をするようになるとは来た当初は夢にも思いませんでした。 25歳ですから。

ここまで自転車に乗ってきまして、その当時は駅前に自転車放り出して池袋行ってたんですね。 その当時はその程度でも許されていた時代。 今そんなことしたらややこしくなってしまいますんで。 また自然に恵まれて、そしてマキノ植物園から飛んできた鳥が私の家の庭にフンをしてくれると、植物園で食べた植物がうちの庭にいっぱい生えてるんです。 あぁ、あそこにあった、と。 そういう因果関係といいますか、運命ですね。因縁。 これが不思議な不思議な気がして、誠になんか感慨無量です。

さきほども言いましたけれども石ノ森氏とは、彼は宮城県、私は福岡の久留米ですが、昭和13年1月25日に同時に生まれているわけですね。 手塚さん、さんというと失礼にあたる、大先生ですね、戦後の第一人者ですが、この方とは昭和18年、1943年に、 明石の映画館で「くもとちゅうりっぷ」という日本の最初のミュージカルアニメーションを見て、同じ日に同じ映画館にいて、 私は5歳、手塚少年は15歳というのが後でわかって、双方のけぞったというかでんぐりがえったんです。 というのも、私がみつばちの冒険という昆虫マンガでデビューしたのはこの映画のせいなんですね。くもとちゅうりっぷ。 それと昆虫と、戦争中、山野でたわむれて、もう、とんぼの頭なんてのは何百匹引っこ抜いたかわかりませんが……

(ここで再び汽笛)

その手塚さんと……

(ここで司会のお姉ちゃんが「松本先生!」)

終わり……

(お姉ちゃん「松本先生!今インタビューでお話されることがなくなってしまうかと思いますので」)

はい、わかりました。

(お姉ちゃん「一度中断させてもらってよろしいでしょうか」)

はい、いいです。
そういうわけでありまして、ここは終の棲家で幸せな場所です。どうもありがとうございます。


(お姉ちゃん「松本先生、どうもありがとうございました」)
○サービスタイム

↓コメントのあと、撮影向けのサービスタイムになり、


↓お姉ちゃんが出てきて、質問形式のトークになりました。……が、時間がなかったのか、質問は1つのみ。


お姉ちゃん
「…(これより前は記録なし)…さんですとか、車掌さんについて、何か仕事として思い入れなどございましたらどうぞお話いただきたいと思います。お願いいたします。」

松本先生
「私は九州の小倉に住んでいる時から線路の前7mが私の家だったんですね。 ですから、列車の轟音、これは子守歌です。私にとっては。 ですから今でもどんな騒音の中でも、轟音の中でも寝ると言ったら1秒で寝てしまうので有名な男であります。 列車の音は私の子守歌。 そしてその列車に24時間乗って、一昼夜かけて東京まで来たわけですね。 ですから、私は汽車、電車、新幹線以前からですから、そういうものの全部の歴史に、蒸気機関車、ディーゼル、電化されて新幹線になって、

そして、この西武線にはもう25歳から今日までですね、延々と乗りつづけているわけです。 ですから私は列車大好き人間です。 そして、乗務員の方がですね、九州から来る時以来、この西武線に毎日乗ってて、私はね、ものすごく助けられた、親切にされたんですよ。 ガキのころからですね。 もう、あの、お前トイレは大丈夫かと、言ってくれたりですね。 本当に何か私は、列車の度にお世話になって、どこへでも行ける少年だったんですね。 そういうわけで、はい。」

お姉ちゃん
「はい、どうもありがとうございます。 じゃあ、今、もうね、鉄道と駅の職員さんへの思いを語っていただきました。 松本先生、貴重なお話を伺うことができました。どうもありがとうございます。ありがとうございます。」

お姉ちゃん
「それでは、この後、銀河鉄道999を……」

(落ちた資料を松本先生が拾って手渡す。)

お姉ちゃん
「すみません、ありがとうございます。気付きませんでした。ありがとうございました。
この後は、車掌さんが、登場していただきまして、本日大泉学園駅の名誉駅長に車掌さんが就任されるということで、 名誉駅長の車掌さんは毎日大泉学園の駅の乗客の安全はもとより、住民乗客の皆様に愛される駅を目指し、見守っていかれるとのことです。 それでは大泉学園駅1日駅長松本先生、車掌さんをお呼びいただけますでしょうか。」

松本先生
「はい、この大泉生まれの車掌さん、どうぞ!」
○車掌さん名誉駅長就任式

↓車掌さんの名誉駅長就任のため、本人が登場 (中の人などいない)。


↓登場した車掌さんについて、松本先生が軽くコメント。


↓そして車掌さんもご挨拶。


↓名誉駅長就任式。


↓紙を受け取った車掌さん。


↓タスキをかけてもらう車掌さん。


↓先生1人では難しいので、隣にいたメーテルに手伝ってもらう。


↓無事タスキがかかりました。


↓タスキの長さに目がいってしまいますが、きっと気にしたら負けなんだと思う。

○就任式後のコメント

車掌さんの名誉駅長就任式後、先生が話をしました。

大きな夢が旅立っていきます。世界中に旅立っていきます。
車掌さんも実はほぼ世界全域でいろいろな若者たちに見られて、とても顔をよく知られておりますので、 ヨーロッパ行ってもどこ行っても、すぐわかります。
メーテルさんとおそろいで行けば、きっとおいしいものがいっぱい食べられる。
社内の規則で、酒だけは飲んではならんということにはなっておりますが、私はそーっと飲む分には見逃しますんで、はい。
そういうわけで、これからも楽しく、そして文字通りここで生まれた車掌さんですから。 元気で元気でがんばってください。
今日はほんとにね、こう、実物大の動く生きた、生命を持った車掌さんにお会いできたのは 私は初めての日なんですよ。とてもうれしいです。
よろしく。
がんばってください。
○車掌さん像 除幕式

先生の話も終わり、また写真撮影用のサービスタイムに。
それにしてもこの車掌さん、ノリノリである。



↓続いて車掌さん像の除幕式。区や駅の偉い人も登場して軽く挨拶し、


↓除幕の紐をみんなで引っ張って、


↓車掌さん像が登場しました。

○次の会場まで練り歩く

駅のイベントが終了した後は、次のイベント会場である妙延寺まで松本先生が歩きながらのPR活動です。
↓商店街に設置されている旗。ゆめーてる商店街の旗です。


↓商店街に設置されているオブジェ。街灯のところに999号があります。


↓999号をいろんな角度で撮影してみました。


↓999号をいろんな角度で撮影してみました。


↓999号をいろんな角度で撮影してみました。


↓ゆめーてる商店街の旗です。


妙延寺までの途中にある東和銀行では、抽選会などのイベントをやっていました。この画像はその東和銀行に貼ってあったものです。私は昼食中だったのでその場にいませんでしたが、松本先生がここに立ち寄ってしばらく参加していたそうです。


○トークステージ

妙延寺では特設ステージが設置されており、露店などもでてました。
午後からは15分ほど松本先生のトークステージがありました。



↓残念ながら人が多すぎてかなり遠くから見ていたのでトークの内容はまったく聞こえず。


↓当日は暑くて、眺めてるだけでも疲れました。

○東映アニメーション撮影所にて

↓イベント終了後、東映アニメーションに行ってきました。ちょうど映画ワンピース公開にあわせて、ちょっとした展示がありまして。


↓展示物に、記念金貨と銀貨があったので撮影してみました。こちらは金貨。


↓こちらは銀貨。


↓所沢イベントのポスターが貼付されていたので撮影してきました。

○車掌さん像 in 大泉学園駅

↓大泉学園駅の改札入ってすぐのところに設置された車掌さん像。


↓大泉学園駅を訪れる際はぜひ拝んでいってあげてください。

○西武池袋線 ヘッドマーク運行

↓期間限定で運行された、ヘッドマーク付きの列車。池袋駅で撮影。


↓西武池袋線につけられていたヘッドマークです。


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