第2回公開講演会「夢はあきらめない (家庭教育の意義について)」
10/5に財団法人モラロジー研究所主催で行われる公開講演会で,松本先生が講演を行います。
- 日時 :2003/10/05(日) 14:00〜
- 会場 :財団法人モラロジー研究所 (千葉県柏市光が丘)
- 講師 :松本零士
- 定員 :300名
- 参加費 :1000円 (当日会場受付でお支払い下さい)
- 申込締切:2003/09/19(金)
まずはお題から
公開講演会「夢はあきらめない」家庭教育の意義
講師 アニメ作家 松本零士
言いたいことは山ほどあるかもしれないけど、まぁ、あまり気にしないのが長生きのコツですよ。
出だし
「この時間は……(以下略)」
いつものやつです。
夢という字の話
テーマに則した話ということで夢という字のことに触れました。その中で夢の字に含まれている「四は目のこと」というような話をしてました。
子供のころの刷り込みについて
五歳までの刷り込みは影響が大きい、という話をしていました。
他に、くもとちゅうりっぷの話、明石から愛媛にうつったころの話など。
(序盤の話はちゃんとメモとってないのでこんなものしかかけないのです)
玉音放送の話
「実は、(松本先生本人は)玉音放送を聞いていません。ちょうどそのとき、外で遊んでいて、川で泳いでいたら、服の上に牛がいて、困ってしまった。帰るときに、途中のあぜ道で呆然としている大人たちを見た」
「お婆さんが日本刀を抜いて『敵が来たら刺し違えて死ぬ』と言い、枕もとに刀を並べていた」
学生時代
「美術部では部費で静物画用の果物を購入していた。このままにしておくと腐ってしまうのではないかと、リンゴやバナナを食ってしまった」
スズメバチ
「スズメバチの巣を襲っては、蜂の子をとっていた。
登校時に最初の班が巣をつつきまわしてしまい、後に来る班が刺されまくっていた。
(刺されても)2匹くらい平気かな。
昔は刺された人がたくさんいて、(刺されたら)どんなものか十分承知していた。」
終戦直後のマンガ話
「終戦直後(昭和20年10月)にはもう市場にマンガが出てた。
今だと、ある意味ヤバいものも多数あった。
アメコミもたくさん売っていた。
そのままだと売れないので、表紙を破る。表紙がないとそれはマンガではなく、ゴミになるのでゴミとして売っていた。
もちろん、表紙がないものは安い。しかし、店の人に言うと、足元から、表紙のついたちゃんとしたマンガ(値段は高い)が出てきた。」
「若者をあなどってはいけない。」
「進駐軍がジープでやってきて、チョコやガムをばらまいたが、自分はチョコやガムを意地でも拾わなかった。ある日、つい、ハーシーのチョコをもらってしまった。
唯一プライドが傷ついた。
次の日、学校で、そのことを同級生たちにからかわれてしまった。
その時のチョコの味は覚えていない。」
「朝礼で後ろの人と話をしていたら、
『松本こっちへこい』
と怒られてしまった。
その後家へ帰ると、家族に
『お前今日怒られていたな』
とバレている。マイクごしに怒るので、村中に知れ渡ってしまったのだった。」
インキンタムシ話
内容失念。たぶんいつもの話だったのだろうと思います。
カメラの話
(内容失念…例のカメラ屋にバカにされた話だと思う)
デビュー話
「昭和29年2月号でデビュー。ただし、本は28年12月に発売された。」
「そのころ、成績を100位も落とし、先生に呼ばれてしまった。
しかし『ま、いいか』
と言われてしまい、自分は見捨てられてしまったと思った。
勉強しないといかん! と思ったが、帰宅すると学童社から(新人賞の)電報が届いていた。」
手作り望遠鏡の話
「小学生の頃、望遠鏡を作って月を見た。この望遠鏡は展覧会で特別賞をもらったが、展覧会から望遠鏡が戻ってきたら、レンズが無くなっていた。中学生の時に、火星を見るべく望遠鏡を作ろうとしたら、レンズの倍率が足りない。近所の眼鏡屋のせがれに、『マンガ描いたら、くれてやる』と言われたので、描いて、そしてレンズをもらった。ただ、研磨されておらず、結局断念した。」
くもとちゅうりっぷの話
再びくもとちゅうりっぷの話になり、手塚先生との話になり、さらに手塚・石森・松本の話へと展開、そして、その3人がまとめて捕まってしまった話(自称日本三大アニメ狂いもづる事件)をした。
鉄腕アトム話
「鉄腕アトム第1回試写会の前日に、手塚さんから『映写機が壊れた。助けてくれ』と電話が来た。
アトムを(試写会の)前日まで編集していたらしい。
そのとき手塚さんのところにあった映写機は松本先生のところにあったものより何倍もよい映写機だった。
こんなものでよければ、と貸した」そうである。
子供のころに読んで影響を受けた本の話
「小学生の終わりごろ、大宇宙のたびという本を読んだ (フォトンという女性に少年が導かれる)。
中学生の終わりごろ、H.G.ウェルズの生命の科学を読んだ。
古本屋にこのシリーズが置いてあり、当時350円という値段がついている。
ところが手元には300円しかない。
自分が読みたいもの1冊を選んで、300円しかないと言うと、まけてくれた。
すると店主は生命の科学全巻をたばねたのだった。
1冊の値段ではなく、全部の値段だった。
そして、これを読んで愕然とした。
SFを描くには…(以下略)」
ちなみに、先日モリミノルのマンガを復刻した際には。松本所蔵の本をバラして、復刻したのだそうです。
下宿時代
「下宿時代、仲間たちと、大病院長になる、デザイナーになるなどと大ホラを吹いていたが、だいたい実現した。その中で、ソニーのデザイン室の人が、北海道に撮影に行くという名目で、社長用の飛行機を飛ばしてしまった(松本零士本人も同行)。
もちろんタレントさんも一緒。
その前の週に倉庫をかすめたとかで、マネージャーは怖くなって逃亡した。
北方領土を見に行こうと飛ばしたが、あやうくスクランブルがかかるところだった。
近年では、ヘリを持ち出して、千葉を飛び回った。」
ちなみにその人は3年前に亡くなったそうで。
宇宙戦艦ヤマトのころ
「ヤマトの打ち切りが決まったころ、銀河鉄道999やハーロックの企画書を持ち込んでもゴミ箱行きで、レオパルドロックへ行った。そこで壮大な光景を目の当たりにして、ここは自分が生まれる前からここにあって、そして、死んだあともここにあるのだ! 視聴率がなんだ、締め切りがなんだ、連載打ち切りがなんだ、と思った。」
「その帰り、最後尾で護衛役になって帰った。
ライフルを借りていたが、あとになって驚いた。
弾が入っていなかった」
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